第24章 身分
身分が変化することは、人間以外の動物の社会にあるいくつかの集団や社会的ネットワークにおいては、あまり見られない。
チンパンジーみたいな類人猿系だとよくみる印象があるけど、身分というほどではないもんな。
ペットの犬は、飼い主のメンバーを身分をつけてみているとかよく聞くけど、人間と一緒に暮らしているからかな。。
人々はしばしば、自身の属する民族や人種の地位を当然で不変であり、正当なものとみなす。それは、個人としての自分の社会的な身分が、自分にふさわしいものであるとみなすのとよく似ている。最初から、世界は基本的に正しいと思っているのだ。このようにして、人々や、彼らが属する集団の苦難が正当化される
苦しくても仕事だからやるべき、みたいな話が出る一つの理由として考えると面白い。
サンデルが言っているような話を思い出すなあ。能力(努力)=身分という発想の部分とか。生物学でも経済学でも心理学でも説明さレているのがなお面白い。
最近人類学を学び始めたんですが、植民地時代、この「正当化」を行うときのツールとして人類学が多用されていたようで、結構ザワザワしていました。文化的、文明的に優れている白人が劣っているその他の人種を治めるのが、どうして正しいのかを人類学を使って説明していたらしいです。ツールはほんと、使い方大事だなぁ、と。
彼らの態度ががらりと変わる。のろのろと歩き、口数が少なく、めったに笑わず、他の人と目を合わせようとしない」と、人類学者のバリー・ヒューレットが述べている。ここで描写された卑屈な態度は、身分意識の強いヒヒや、最も強い威嚇を受ける少数派においてただちに認められるようなものである
種が違うヒヒと人間の行動も、身分意識を共通項として実際の行動に共通点が出てくるの興味深い。人が集まると一定数その集団の中で「嫌な奴の役」を演じるようになるのと何か繋がりがあるんだろうか。その集団の中の役を演じるようになり、振る舞いが変わるっていろんなところで起きている気がする。